雑記ガトリング

あらゆることをガトリングのように書きまくるブログです。

好きなことばかりして生きていくのは良いが、嫌なことから逃げれるわけではない

 

 どうも、ドラクエ大好き雑記ガトリングです(好き通り越して尊い

 

 さて、今回の記事は最近はやりの「好きなことで生きていく」に関係した話でもあります。

 

 私も好きなことで生きていくには大賛成ですし、批判するつもりは全くありません。

 

 

 しかし、この言葉って凄い勘違いしている人が多いんではないでしょうか?

 

 

 ということで、今回は私の体験も交えながら好きなことで生きていくことの本質に迫りたいと思います!

 

 では、いっていきましょう!(今更だけど何この掛け声)

 

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 「好きなことで生きていく」

 

 この言葉、凄い良い響きで魅力的ですよね〜。

 

 この時代だからこそ、生まれた新しい概念ですし、こんなことができる時代を生きているのは凄いラッキーだなとつくづく思います(縄文時代じゃ無理よ)

 

 こんなことが可能になったのは、やはり広告収入という新しい職業システムが大きいですよね。代表的なものはyoutube、ブログ、スマホの無料アプリなんかですかね。

 

 最近なんかは投げ銭とかいう動画とか見てる最中にその場でお金を支払えるシステムも出て来てますよね〜。

 

 さらに、インターネットの功績もでかいですよね!

 

 最近なんかはスマホやパソコンも普及してますし、会社とか建てなくても個人で簡単に事業を始められるようになった。

 

 そう、このいつでもどこでも繋がれるインターネット空間が世界を大きく変えたんですよ。

 

 テクノロジーの進化が仕事の簡便化を実現したというわけです。

 

 だから、好きなことでも生きていけるようになったんです (AIに感謝)

 

 

 さて、これほど魅力的なものなのです。もちろん、私にも興味が湧きます。

 

 だって、好きなことで仕事ができるんですよ、生きられるんですよ。子供の頃から、仕事に対してあまり良いイメージがなかった私からするとこれは衝撃的です。

 

 さらに、「人生好きに生きても良いのか!」と思うようになっていきました。

 

 どうせ生きるなら、やっぱり楽しんで生きたいですもん(楽しんだもん勝ちよ)

 

 

 そう、ある時から私は自分の好きだと思うこと、やりたいことをして生きていきたいと思ったんです。

 

 

 昔の、自分より他人を優先しすぎてしまう性格からの反発もあったことでしょう。

 

 こうして、自分の内なる思いに貪欲になった私ですが、ある勘違いをしていました。

 

 

 それは、好きに生きるということは楽である

 

 

 こんな風に思ってしまったんですね(大きな勘違い)

 

 そうなると、私は嫌なことを極力避けるような人間になりました。

 

 宿題はめんどくさいしやめよう、だるいから今日は学校サボろう、バイトとか大変なものはやりたくない。大体こんな感じにです(高校時代ですかね〜)

 

 

 これらが良いか悪いかは置いといて、まず気持ちの面ですが、意外にも凄い良くなりました。

 

 

 基本的に楽しいことをして、嫌なものを避けているのでストレスは大幅に減りましたし、人生楽しいなと思うことも多くなりました(ヤッタネ)

 

 はい、当初は本気で「楽して生きることは最強じゃないかあ!」なんて思っていました。

 

 

 しかし、楽して生きるのはそんな甘いものではありませんでした。

 

 例えばですが、猛烈に欲しいものがあったのですがお金がない。

 

 そんな状況いくらでもあるのですが、楽して生きる崇拝者だった私は、

 

 

 「確かにめちゃくちゃ欲しい、でもそのために自分の貴重な時間を使って労働するのはバカらしいよな」

 

 

 こんな風に考えてしまいました。

 

 

 そう、実際にやったこともないのに勝手な憶測で決めつけて、嫌なことからなんとしても逃げるような人間になってしまっていたのです(仕事=苦痛的な感じ)

 

 

 ものごとをまず第一に、楽かどうかで考えるアンテナが研ぎ澄まされてしまった由縁なのでしょう。

 

 欲しいものはあるが、頭で考えてそれを手に入れるのが大変と判断したら諦めるので、何かしたいと思っても行動が伴わない人間にいつしかなっていました。

 

 

 今100幸せなのに、わざわざ30になってまで新しい幸せ100を手にしたいとは思わなかったんです(基本的にストレスフリーでしたからまあそうなるわな)

 

 

 

 しかし、次第にジレンマに陥っていきました。

 

 

 「これ欲しいな。でも、これを手に入れるためには苦痛を味わなければいけない」

 「でも本気で欲しい。なんとしても欲しい。でなきゃ嫌だ!」

 「でも、苦痛を味わうのも絶対に嫌だ!」

 

 

 そう、どちらを選択しても自分に不利益な状況になったんです(地獄の板挟み)

 

 

 現状のままでもかなりのストレス、行動してもめちゃストレス。当時の楽して生きるがモットーの私には最悪の相性でした。

 

 

 現状の幸せに満足できなくなって、更なる幸せを求めるようになった結果ですね。

 

 現状が100幸せだったのが50幸せくらいに下がり、普通にしてても不満。行動してみようと思うも30幸せくらいになってしまうだろうと思いこれも不満。相対的に現状の方がまだ幸せだと思うかもしれないんですが、元々100幸せだったのを考えるとかなり不満なんです。

 

 

 当時、私はこのジレンマによって発狂するほどのストレスを浴びました。現状に対する猛烈な気持ち悪さ、世界に対する憎悪すら湧いてきました。

 

 

 そして、どうにもならない状態になった時は自分の考え方が間違っているということを知っていた私はついに気づきます。

 

 

 自分なりの好きに生きる、自由に生きるには限界があると。

 

 

 嫌なことを避けて、自分の思い通りに生きることはできないと分かったんです。

 

 なんとかして楽して生きる崇拝者の名にかけて、自分に不利益が起きずに幸せを手に入れる方法を考えまくりました。

 

 

 「親に買ってもらうかな」

 「何か売ろうかな」

 「消費者金融から借りるかな」

 「もはや盗もう」

 

 

 しかし、楽したいセンサーは少しの不利益も見逃しません。

 

 

 「親に買ってもらうのは申し訳ないな」

 「でも、売るのはもったいないな」

 「お金を借りるのにちょっと抵抗あるな」

 「盗んだら犯罪だしな」

 

 

 

 そう、どんなに解決策を考えても不利益の呪縛に囚われて、どっちつかずの一番楽な現状の維持、行動しないという選択を何回も繰り返すハメにになりました(暗雲サイクル)

 

 

 楽したいセンサーというものは楽に敏感になるだけではないのです。相対的に自然に不利益にも敏感になっていたのです。

 

 

 そう、絶対に抜け出せないんですよ(いくらでも見つけてしまう)

 

 

 

 だから、私は不利益を探すこと自体不毛だと気づきました。

 

 色々考えることは問題を解決する上で凄い良いことだと思います。

 

 

 しかし、考えても考えても行動しなきゃ何も始まらないんですよ。

 

 

 考えるのと行動はセットなんです。

 

 私は行動をしないで考えるのみで何かが叶うかどうかの限界に挑戦していたということです(これはこれですごいなw)

 

 まあ、考えるだけで何かが叶ったら誰も苦労しませんよね(うん、うん)

 

 

 そして、現状を変えるには自分を変えるしかないんです。

 

 

 どれだけ「現状が変わって欲しい!」と頭の中で願っても、現実はそうはならないんです。

 

 

 自分で行動、アクションを起こさなきゃホントにマジで目の前の世界は変わりません!

 

 

 私はこれを身に染みて感じました。

 

 

 さて、なぜ私はこんなにも行動に踏み出せなかったのでしょうか?

 

 

 それは、自分の幸せが脅かされることが怖かったからです。

 

 

 自分の内なる思いに貪欲になることは素晴らしいんですよ。好きなことを好きだと素直に自分に言い聞かせる。嫌なことは嫌だと素直に自分を認めてあげる。こんな幸せなことがあるでしょうか。

 

 

 「素直に生きても良いんだな」

 

 

 そう思わしてくれた『自分の好きなこと、やりたいことをして生きていく考え』にはとても感謝していたんです。

 

 

 だからこそ、簡単には捨てきれませんでした。

 

 

 この生き方をやめてしまうのはなんか違う。そんな思いがずっとあったんです。

 

 そして、行動することを拒むことに限界を感じた時、私の新たなる世界が始まりました。

 

 

 「行動してみよう、挑戦してみよう!」

 

 

 私は自分の殻をついに破ったのです。

 

 楽しいか、面白いかなんて保証はどこにもありません。

 

 挑戦とはそういうことなんです。

 

 

 憶測とか行動もしないで勝手に自分で決めつける自分に嫌気がさしたのです。

 

 

 どうなるか分からないからおもしろいという次のステージに到達したんです。

 

 

 考えてるだけでは何も始まらないし、どんどん行動しまくって成功も失敗もなんでも楽しんでしまえば良いじゃないかと思うようになったんです。

 

 

 これは私の中でビックバン級の大転換でした。

 

 

 ですから、この壮大な勘違いから始まった出来事も決して無駄ではなかったんだなと思っています。

 

 

 この経験を通して、生きるとは何かを考えさせられましたし、何よりこの記事を書くことができているのが嬉しいです。

 

 

 ということで、これからも失敗なんて気にせずに自分の心の底からやりたいこと、好きなことを続けていきたいと思います。

 

 

 今回かなり長くなった気がしますが、以上です。ありがとうございましたー!