運の良い人間は本気で運が良いと思い込んでいるから運が良い
どうも、お茶大好き雑記ガトリングです(濃茶の渋みがいいですよねえ)
さて、今回はみなさんもよく考えるであろう運についてのお話です。
運がいいとか悪いとか、その運です(うん、うん)
私は生きていくにあたって、どうして運の良い時と悪い時があるのだろうとずーと考えていました(ホント良く考えます)
どうせ生きるなら、みなさんも運が良い方が絶対いいですよね!
ということで、今回は運の良さとは何なのか、運のいい人はどういった人なのかを考えていきたいと思います。
それでは、やっていこう!
さて、突然ですがみなさんは運はいい方ですか?
私はメチャクチャ運がいいです!(急なマウント乙)
いや、これ決して煽っているわけではないんですよ(ホントにホントに)
運に関してはこの考え方がすごい大事なんですよ。
「どこが大事なんだよ!」
そう思われるかもしれないのではっきり言いましょう!
運の良さは自分で変えられるんです。
「え?そうなの?」
なんて思った方も多いと思うんですが、運がいいとか悪いとかって自分次第なんですよ。
私も昔は運の良さなんて自分ではどうしようもないことだと思って、目の前に降りかかる現象に運がいい、悪いと一喜一憂していました(ソシャゲのガチャの爆死とかマジ悲惨)
よく考えていたのは、良いことをしたら運が良くなる、悪いことしたらバチが当たって運が悪くなるといった感じのことです。
でも、ある時これは違うんではないかと疑問に思うようになりました。
学校とかで明らかに悪いことしまくってる同級生とかいたんですが、全然バチとか当たってる感じがしないし、むしろすごい楽しそうに生き生きとして生活を送ってたんですよ。
真面目にやってる自分がどこかバカらしく思えてくる。そんなことがよくあったんですね。
それからしばらく、私は世界って不条理で歪んでるなと良く思ってました(厨二病も発症してて、そんな世界に生きる自分に謎のカッコよさを抱いてたのは秘密)
世界には素敵なこともたくさんあるけど、それと同じくらい理不尽なこともあってそれが人生なのだと割り切っていました。
しかし、ある時事件は起きます。
自分で言うのもなんですが、「俺はいい人間だから理不尽なことはそう滅多に起きない!」とずっと思っていました。
人が傷つくようなことはしないし、とてつもない迷惑を人にかけるわけでもなかったから。
それなのに、自分だけが理不尽な状況に何回も遭遇したんです。
どうして、いつも俺だけがこんな状況に陥るのだろう。世界はそんなにも俺が憎いのか。
そんなことばかり考えるようになり、俺ってなんでこんなに運が悪いんだろうと本気で悩んでいました。
もちろん、自分からの世界の見え方しか分からないのですが、周りの人間に比べても明らかにおかしいといつも思っていました。
はい、もうお気づきだと思うんですが、運の良さにあるべき形なんてないんですよ。
自分が思ってる『運がいい人間はこういった人だ』とか『運の悪い人間はこういう人間である』なんて感覚は全くもって見当違いだったんですよ。
要は、「自分の考えは絶対に正しい!」と思って、その考えに固執して生きるのは危険だということです(マジでどんどん苦しくなる)
ここで初めて、私は知りました。
自分の感覚が世界の感覚とは全然違うと。
私が長年思っていたことは全くの間違いだったんですよ。
自分が絶対的だと思っていたことは実は全然絶対的ではなかったんです。
というかこの世に絶対的なものなんて一つもないんです(当時全身に電気が走るほどの衝撃を受けました)
こうして、私は自分の考え方を変える必要があることに気づきました。
でなきゃ、この世界を生きていくことはできないと悟ったからです。
そして、運とは何なのかを一から考え始めました。
固定概念なんて全部取り払って、インターネットで調べまくったりもしました。
そんな時、セルフイメージというものに出会いました。
セルフイメージとは「自分自身の価値をどのように感じているか」といったものです。
さて、このセルフイメージなんですが凄いものなんですよ。
セルフイメージによって人生を変えられるといっても過言ではないです。
セルフイメージって要は、「思いこみ」なんですよね。例えば、自分は勉強がメチャクチャできると本気で思いこむと実際にそれがその人の勉強の能力に影響を与えるんですよ。
上手く思い込めれば、東大にだっていけてしまう可能性があります(わあすごい)
逆に親とか先生とかに「お前は勉強が全然できないな!」なんて言われると、「自分は勉強ができない人間なんだ」と落ち込んで、ホントに勉強の能力が落ちてしまうなんてことも起こってしまうんです。
セルフイメージって良くも悪くも人間に強い影響を与えるものなんですよ。
人間の認識なんて案外脆くて、セルフイメージでいくらでも書き換えられるものなんですよ。
さて、本題に戻るんですがこのセルフイメージ、自身の運の良さすらも変えてしまいます。
「自分は運がメチャクチャ良い!」と本気で思いこむとホントに運がメチャクチャ良くなります。
「は?そんなことありえないでしょ!」
私も最初思っていました。何をいっているんだと。
でも、固定概念なんて捨ててください。
もう一度言いますが、絶対的なものなんてこの世に一つもありません
あなたの意見が絶対的である保証はどこにもありません。
そして、セルフイメージという理解しがたいものも受け入れてみてください。
私は、当初そんな不思議なことがあるのだと思ってすごいなと思いました。
そして、その事実を受け入れ、自分は「運がメチャクチャ良い人間だ!」と本気で思うようになりました(よく口にしてましたね)
最初はやはり現実とのギャップに違和感を覚えていました。
それもそのはずです、全く根拠もないのに自分が運がメチャクチャ良いなんて言ってれば、普通に考えて頭おかしいですもの。
でも、なぜか私には根拠のない自信がありました。
凄い不思議なことも認めてあげることが、現状を打開する新たな一歩なのではないかと。
こうして、自称運がメチャクチャ良い人間になった私ですが、ホントに運が良くなってきたんですよ(ガチャの結果も格段に良くなっている)
というか、「自分が運が良いのはまあ当然かな」
こんなレベルまで思いこむようになったんです。
重要なのは自分がどれほど思い込んでいるかです。
現在も基本的に運はメチャクチャ良いと思っていますし、素敵な出来事もたくさん起きています。
もちろん、アクシデントも人生なんでいくらでも起きます。
そういった時に、どれだけ良いセルフイメージを保てるかが勝負なんでしょうね。
ショックを受けたり、不安や悲しみで少しでも気持ちがマイナスに傾くと、良いセルフイメージも揺らいだりします(今でもこれはある)
なので、気持ちがマイナスになったらすぐに切り替えて、運がメチャクチャ良いというプラスのセルフイメージを思い出して生きていくことが、運の良い人生を送る秘訣でしょうね。
そして、もう少し踏み込んだ話になるんですが、運の良さって相対価値に過ぎないんですよね。
運が良いと思われる現象は運が悪いと思われる現象が無いと成り立たないわけです。
例えば、ソシャゲで最高価値のSSレアをガチャでみんな引きたいと思うじゃないですか。
でも、大抵そういったレア度が高いものほど出にくくなっていて、価値の低いものばっかあたります(ガチャあるある)
そうなると、人は「今日はツイてないな! くそおお」なんて考えます。
では、今度はおんなじガチャで最高価値のSSレアしか出なかったら、どう思いますか?
SSレアが出るのが当たり前になるので、運が良いなんて思いませんよね。
ここが肝なんですが、当たり前になればなるほど価値がなくなったかのように思うんです。
この場合でも、実際は最高価値のSSレアですよ。性能は抜群で間違いなく高価値です。
しかし、当たり前になればなるほど、何でもそうですが本当の価値に鈍感になるんです。
私たちは今、生きています。
当たり前過ぎて気にも止めないでしょうが、これってとても恵まれてますよね。
やろうと思えば何でもできるほどの自由が与えられて、たくさんの素敵なもの、魅力的なものが満ち溢れている世界で生きれるって最高の幸せだと思いませんか。
自分が大好きなもの、大切にしたいものってみんな一つはあると思うんです。
それが出来ない状態を今出来ている状態と比べてみてください。
相対的に今、生きてるだけで運がメチャクチャ良いって思いませんか。
こんな感覚を持ってみると、『自分はメチャクチャ運が良い』というセルフイメージがより維持しやすくなるんではないでしょうか。
ということで、今回の記事は以上です。ありがとうございましたー!