雑記ガトリング

あらゆることをガトリングのように書きまくるブログです。

ドラクエのスライムについて考える

ドラゴンクエストに登場するスライム

あれは最高のモンスターと言えるな

まず、可愛いらしい

ホントに可愛いんだわ

なんだろうな見ただけで癒されるわ

あのぷにぷにとした体は最高だな

軟体なんでしょうね

ゲルなのか

それもわからんけど良いね

そして、色が良い

俺の大好きな青色

これほど嬉しいものはない

青色って落ち着くんだよね凄く

なんか目に優しい色な気がするよなあ

そんなことを聞いたことがあるような気がする

あと、コンパクトサイズなのが良い

恐怖心とか微塵も湧かない

そこが良い

勇者たちに優しい、冒険者に優しいとこね

素敵なモンスターだ

まだ経験が浅くても倒せちゃうからね

イージーなモンスターだね

でも、動きは俊敏なんじゃないのかなあ

体すごい軽そうだしな

ぴょんぴょん跳ねてどこにでもいけるんじゃないですかね

スラストライクって技あったよね

バトルロードとか漫画とかにあったと思うけどあれ好きだわ

体は小さいけどコンパクトだからこそ弾丸のような攻撃を与えられるんですなあ

小さいけど強いそんなキャラクターだよなあ

ドラクエ5だとレベル99で灼熱のほのうだったかな

覚えるのよねすごいは一番成長するキャラなんじゃないかな

鍛えれば全然強くなるそんなスタイルがとっても素敵ですな

なかなか魅力的じゃん

ジョーカー、テリワン、イルルカとかのシリーズで育成もできるしね

最弱だけど最強にもなるようにしたのは良いね

スライムがメラゾーマとか覚えるとかアレできたっけ

忘れちゃったけどそういうの良いよね面白いわ

あと、何より笑顔が良いよね

「倒されても全然良いよ、どんどん倒して経験値アップしてね!」

こんな精神が見えるよ

素晴らしすぎないですかスライムさん

惚れてしまうよ

笑顔でいるから可愛いしね

鳥山先生だよね考えたの

鳥山先生にこれは感謝ですね

スライムという存在は唯一無二の存在

これは最強のオリジナル

これからも私の癒しとなるだろう

そして、ありがとうスライム

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問題にぶち当たった時に考えるから人は成長する

 どうも、ようかん大好き雑記ガトリングです(イモようかんが一番すこ)

 

 さて、今回の記事は人生で度々遭遇するであろう問題について考えていきたいと思います。

 

 

 生きていれば必ず付きまとう、ある種の運命共同体みたいなものです。

 

 

 問題といったら仕方のないこと、どうしようもないこと、人生をグラフで考えて落ち込んでいる部分といったようにあまり良くないというか最悪な存在に近いような意見も多いことでしょう。

 

 しかし、問題は人生を生きる上でとても重要な役割を担っていることに気がついたんです。

 

 そんな悪い奴じゃないんですよ問題って(むしろ最高かもしれん)

 

 というわけで、そんな人生における問題の正体に迫りたいと思います。

 

 よし、やっていきましょう!

 

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 「うわー最悪、なんでこんなことになったんだよ!」

 

 

 みなさんもこんな経験、一度はありますよね?(腐る程あるよね)

 

 仕事、学校、人間関係、趣味、プライベート、人は生きている限りあらゆるシュチュエーションで問題にぶつかります。

 

 自分がかなり関与して起きる場合もありますが、もはや偶然の領域で発生するサプライズ的な問題もよく起きます。

 

 自分が関与して起きる例は「勉強しなくて単位を落とした」だとか、「前日に夜更かしをして会社に遅れた」だとか「愛想尽かされて、彼女にフラれた」だとかまあ山ほどあります。

 

 そして、偶然の問題にも遭遇したりします。「カラスにフンを落とされた」だとか、「家が貧乏」だとか、「病気にかかって入院」するなどです。

 

 後は、自分がどの国に生まれて、どんな家族のもとで生まれてくるかも人それぞれですよね(幼なじみ恋愛ルートなんて無かった)

 

 

 はい、問題って挙げたらキリが無いんですよね。些細なことから、とんでもなく重大なものまでメチャクチャあるんですよね。

 

 

 そして、断言しましょう。

 

 

 問題は生きている限り絶対に無くならないです。

 

 

 まだ、そんな年もいってないのですが、間違いなく一生の付き合いになることを確信しています(わーい)

 

 推測ですが、人間は思考という動物の中でも高度なシステムを持っています。

 

 あらゆることに対して、色々考えることができるんですよね。

 

 あらゆることですから、問題が起きたら時にも思考します。

 

 

 「あ!問題が起きた!」

 

 

 こんな風にです(実際に起きた時はこんなコミカルじゃないけどねw)

 

 

 そうなんです、問題を認識できるから人間は問題にぶち当たるんです。

 

 

 他の動物も問題の認識はもちろんします。

 

 シマウマがチーターから狙われていることに気がついたら、それはシマウマ史上最も重大な問題に遭遇していると言えます(命が危ないぜ)

 

 そんな時、シマウマは「なんだよふざけんなチーター」なんて思っているのでしょうか。

 

 そんな余裕もなく、ただ一目散に逃げるに違いありません。

 

 動物は本能で問題を認識します。問題を認識するのは人間と同じですが、シマウマが問題にぶつかるごとに「うわあ、またチーターだよツイてねーわあ」なんていちいち考えているのでしょうか。

 

 

 そして、思ったのです。問題とはそれが問題だと思考した時に問題になると

 

 

 要は、人間が「これ最悪だわ」と思考した瞬間、問題が生まれるということです。

 

 朝学校に遅刻してしまったことはカラスにとって問題でしょうか?

 

 もちろん、そんなはずがありません。カラスは全く関係ありません(カーカー)

 

 

 問題とは人間、いや個人の見解に過ぎないんですよね。

 

 

 だから、「なんでこんなことが起きるんだよ!」と思っても、それは他の人間からしたらどうでも良いことの可能性だってあるということです。

 

 そのため、起きた問題もただの事実として受け止めることが大事かもしれません。

 

 ですが、人間は感情を持っています。

 

 嫌なことが起きても嫌と思わなければ最強ですが、そんなことは大抵無理に近いと思います(もしそうだったら、全員仏説)

 

 人間は問題が起きた時に感情が出てしまします。

 

 

 というわけで、必然的にそれを問題と認識するので人間は問題と一生、生きていくことになります。

 

 

 

 さて、とはいっても感情を無くして生きていくことなんて人間には出来ません。

 

 ではどうしたら良いのでしょうか?

 

 生きている限り人間でいる限り問題に遭遇するのは必然です。

 

 問題にはぶち当たります。それがキツければキツイほど落ち込みます。

 

 

 でも、それで終わったらもったいないと思ったんです。

 

 

 起きたことに感情を出すのはそれはそれで良いと思います(人間なのでね)

 

 感情を出せるだけ出しても、事実として問題はあるわけです。

 

 

 感情だけじゃ何も解決してくれません。

 

 

 では、どうしたら良いか?

 

 人間の持つ最大の武器を使えば良いんです。

 

 

 それは思考、考えることです。

 

 

 人間は問題に対して悲観的に考えてしまいますが、同時に「どうしたら良いか」も考えられるんですよ。

 

 

 問題の解決法を自分で考えて、行動できるのが人間の最大の強みだと思います。

 

 

 そして、問題は何回でも繰り返し起きる場合もあります。

 

 そんな時は、自分の考え方が間違っていることが大半です。

 

 

 自分の感覚が世界の感覚と同じだとは限らない。それがこの世界です。

 

 

 でも、思考という最大の味方がいつも私たちにはついてます。

 

 思考は時間空間に関わらず、いつでもどこでも出来ます。

 

 これって最強じゃないですか?

 

 

 どんな問題も考えれば解決できるんですよ。

 

 

 どんな大きな問題でも、考えまくって考えまくって考えまくれば解決できます。

 

 今までもそうやって解決してきました。

 

 そして、考えても答えが出ない時に落ち込んではいけません。

 

 

 どんな問題も楽しんで受け入れる。どうやって解決したら良いかも楽しみながら考える。全然答えが出ないことも楽しんでしまう。達成できたらめっちゃ喜ぶ。

 

 

 問題を解決するのって凄い楽しいなと思ったんです(私は究極のドMかもしれません)

 

 

 でも、これができれば人生怖いもの知らずです。

 

 

 落ち込むほど嫌なこと、ムカつくことも人生です、いっぱいあることでしょう。

 

 まずは感情を他の趣味でもなんでも良いですがぶつけてストレスを発散してください。

 

 そして、問題を考えるときは楽しんじゃう。

 

 そんな生き方が良いではないでしょうか。

 

 私もこれからもそんな心構えで生きていきたいと思っています!

 

 というわけで今回の記事は以上です、ありがとうございましたー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

運の良い人間は本気で運が良いと思い込んでいるから運が良い

 

 どうも、お茶大好き雑記ガトリングです(濃茶の渋みがいいですよねえ)

 

 さて、今回はみなさんもよく考えるであろうについてのお話です。

 

 運がいいとか悪いとか、その運です(うん、うん)

 

 私は生きていくにあたって、どうして運の良い時と悪い時があるのだろうとずーと考えていました(ホント良く考えます)

 

 

 どうせ生きるなら、みなさんも運が良い方が絶対いいですよね!

 

 

 ということで、今回は運の良さとは何なのか、運のいい人はどういった人なのかを考えていきたいと思います。

 

 それでは、やっていこう!

 

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 さて、突然ですがみなさんは運はいい方ですか?

 

 

 私はメチャクチャ運がいいです!(急なマウント乙)

 

 

 いや、これ決して煽っているわけではないんですよ(ホントにホントに)

 

 

 運に関してはこの考え方がすごい大事なんですよ

 

 

 「どこが大事なんだよ!」

 

 

 そう思われるかもしれないのではっきり言いましょう!

 

 

 運の良さは自分で変えられるんです。

 

 

 「え?そうなの?」

 

 

 なんて思った方も多いと思うんですが、運がいいとか悪いとかって自分次第なんですよ。

 

 私も昔は運の良さなんて自分ではどうしようもないことだと思って、目の前に降りかかる現象に運がいい、悪いと一喜一憂していました(ソシャゲのガチャの爆死とかマジ悲惨)

 

 よく考えていたのは、良いことをしたら運が良くなる、悪いことしたらバチが当たって運が悪くなるといった感じのことです。

 

 でも、ある時これは違うんではないかと疑問に思うようになりました。

 

 学校とかで明らかに悪いことしまくってる同級生とかいたんですが、全然バチとか当たってる感じがしないし、むしろすごい楽しそうに生き生きとして生活を送ってたんですよ。

 

 真面目にやってる自分がどこかバカらしく思えてくる。そんなことがよくあったんですね。

 

 それからしばらく、私は世界って不条理で歪んでるなと良く思ってました(厨二病も発症してて、そんな世界に生きる自分に謎のカッコよさを抱いてたのは秘密)

 

 世界には素敵なこともたくさんあるけど、それと同じくらい理不尽なこともあってそれが人生なのだと割り切っていました。

 

 

 しかし、ある時事件は起きます。

 

 

 自分で言うのもなんですが、「俺はいい人間だから理不尽なことはそう滅多に起きない!」とずっと思っていました。

 

 人が傷つくようなことはしないし、とてつもない迷惑を人にかけるわけでもなかったから。

 

 

 それなのに、自分だけが理不尽な状況に何回も遭遇したんです。

 

 

 どうして、いつも俺だけがこんな状況に陥るのだろう。世界はそんなにも俺が憎いのか。

 

 そんなことばかり考えるようになり、俺ってなんでこんなに運が悪いんだろうと本気で悩んでいました。

 

 もちろん、自分からの世界の見え方しか分からないのですが、周りの人間に比べても明らかにおかしいといつも思っていました。

 

 

 はい、もうお気づきだと思うんですが、運の良さにあるべき形なんてないんですよ。

 

 

 自分が思ってる『運がいい人間はこういった人だ』とか『運の悪い人間はこういう人間である』なんて感覚は全くもって見当違いだったんですよ。

 

 要は、「自分の考えは絶対に正しい!」と思って、その考えに固執して生きるのは危険だということです(マジでどんどん苦しくなる)

 

 ここで初めて、私は知りました。

 

 

 自分の感覚が世界の感覚とは全然違うと。

 

 

 私が長年思っていたことは全くの間違いだったんですよ。

 

 

 自分が絶対的だと思っていたことは実は全然絶対的ではなかったんです。

 

 

 というかこの世に絶対的なものなんて一つもないんです(当時全身に電気が走るほどの衝撃を受けました)

 

 

 こうして、私は自分の考え方を変える必要があることに気づきました。

 

 でなきゃ、この世界を生きていくことはできないと悟ったからです。

 

 

 そして、運とは何なのかを一から考え始めました。

 

 

 固定概念なんて全部取り払って、インターネットで調べまくったりもしました。

 

 そんな時、セルフイメージというものに出会いました。

 

 セルフイメージとは「自分自身の価値をどのように感じているか」といったものです。

 

 さて、このセルフイメージなんですが凄いものなんですよ。

 

 セルフイメージによって人生を変えられるといっても過言ではないです。

 

 セルフイメージって要は、「思いこみ」なんですよね。例えば、自分は勉強がメチャクチャできると本気で思いこむと実際にそれがその人の勉強の能力に影響を与えるんですよ。

 

 上手く思い込めれば、東大にだっていけてしまう可能性があります(わあすごい)

 

 逆に親とか先生とかに「お前は勉強が全然できないな!」なんて言われると、「自分は勉強ができない人間なんだ」と落ち込んで、ホントに勉強の能力が落ちてしまうなんてことも起こってしまうんです。

 

 セルフイメージって良くも悪くも人間に強い影響を与えるものなんですよ。

 

 

 人間の認識なんて案外脆くて、セルフイメージでいくらでも書き換えられるものなんですよ。

 

 

 さて、本題に戻るんですがこのセルフイメージ、自身の運の良さすらも変えてしまいます

 

 

 「自分は運がメチャクチャ良い!」と本気で思いこむとホントに運がメチャクチャ良くなります。

 

 

 「は?そんなことありえないでしょ!」

 

 

 私も最初思っていました。何をいっているんだと。

 

 でも、固定概念なんて捨ててください。

 

 もう一度言いますが、絶対的なものなんてこの世に一つもありません

 

 あなたの意見が絶対的である保証はどこにもありません。

 

 そして、セルフイメージという理解しがたいものも受け入れてみてください。

 

 私は、当初そんな不思議なことがあるのだと思ってすごいなと思いました。

 

 そして、その事実を受け入れ、自分は「運がメチャクチャ良い人間だ!」と本気で思うようになりました(よく口にしてましたね)

 

 最初はやはり現実とのギャップに違和感を覚えていました。

 

 それもそのはずです、全く根拠もないのに自分が運がメチャクチャ良いなんて言ってれば、普通に考えて頭おかしいですもの。

 

 でも、なぜか私には根拠のない自信がありました。

 

 

 凄い不思議なことも認めてあげることが、現状を打開する新たな一歩なのではないかと。

 

 

 こうして、自称運がメチャクチャ良い人間になった私ですが、ホントに運が良くなってきたんですよ(ガチャの結果も格段に良くなっている)

 

 というか、「自分が運が良いのはまあ当然かな」

 

 こんなレベルまで思いこむようになったんです。

 

 重要なのは自分がどれほど思い込んでいるかです。

 

 現在も基本的に運はメチャクチャ良いと思っていますし、素敵な出来事もたくさん起きています。

 

 もちろん、アクシデントも人生なんでいくらでも起きます。

 

 そういった時に、どれだけ良いセルフイメージを保てるかが勝負なんでしょうね。

 

 ショックを受けたり、不安や悲しみで少しでも気持ちがマイナスに傾くと、良いセルフイメージも揺らいだりします(今でもこれはある)

 

 

 なので、気持ちがマイナスになったらすぐに切り替えて、運がメチャクチャ良いというプラスのセルフイメージを思い出して生きていくことが、運の良い人生を送る秘訣でしょうね。

 

 

 そして、もう少し踏み込んだ話になるんですが、運の良さって相対価値に過ぎないんですよね。

 

 

 運が良いと思われる現象は運が悪いと思われる現象が無いと成り立たないわけです。

 

 

 例えば、ソシャゲで最高価値のSSレアをガチャでみんな引きたいと思うじゃないですか。

 

 でも、大抵そういったレア度が高いものほど出にくくなっていて、価値の低いものばっかあたります(ガチャあるある)

 

 そうなると、人は「今日はツイてないな! くそおお」なんて考えます。

 

 では、今度はおんなじガチャで最高価値のSSレアしか出なかったら、どう思いますか?

 

  SSレアが出るのが当たり前になるので、運が良いなんて思いませんよね。

 

 

 ここが肝なんですが、当たり前になればなるほど価値がなくなったかのように思うんです。

 

 

 この場合でも、実際は最高価値のSSレアですよ。性能は抜群で間違いなく高価値です。

 

 しかし、当たり前になればなるほど、何でもそうですが本当の価値に鈍感になるんです。

 

 

 私たちは今、生きています。

 

 

 当たり前過ぎて気にも止めないでしょうが、これってとても恵まれてますよね。

 

 

 やろうと思えば何でもできるほどの自由が与えられて、たくさんの素敵なもの、魅力的なものが満ち溢れている世界で生きれるって最高の幸せだと思いませんか。

 

 

 自分が大好きなもの、大切にしたいものってみんな一つはあると思うんです。

 

 それが出来ない状態を今出来ている状態と比べてみてください。

 

 

 相対的に今、生きてるだけで運がメチャクチャ良いって思いませんか。

 

 

 こんな感覚を持ってみると、『自分はメチャクチャ運が良い』というセルフイメージがより維持しやすくなるんではないでしょうか。

 

 

 ということで、今回の記事は以上です。ありがとうございましたー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好きなことばかりして生きていくのは良いが、嫌なことから逃げれるわけではない

 

 どうも、ドラクエ大好き雑記ガトリングです(好き通り越して尊い

 

 さて、今回の記事は最近はやりの「好きなことで生きていく」に関係した話でもあります。

 

 私も好きなことで生きていくには大賛成ですし、批判するつもりは全くありません。

 

 

 しかし、この言葉って凄い勘違いしている人が多いんではないでしょうか?

 

 

 ということで、今回は私の体験も交えながら好きなことで生きていくことの本質に迫りたいと思います!

 

 では、いっていきましょう!(今更だけど何この掛け声)

 

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 「好きなことで生きていく」

 

 この言葉、凄い良い響きで魅力的ですよね〜。

 

 この時代だからこそ、生まれた新しい概念ですし、こんなことができる時代を生きているのは凄いラッキーだなとつくづく思います(縄文時代じゃ無理よ)

 

 こんなことが可能になったのは、やはり広告収入という新しい職業システムが大きいですよね。代表的なものはyoutube、ブログ、スマホの無料アプリなんかですかね。

 

 最近なんかは投げ銭とかいう動画とか見てる最中にその場でお金を支払えるシステムも出て来てますよね〜。

 

 さらに、インターネットの功績もでかいですよね!

 

 最近なんかはスマホやパソコンも普及してますし、会社とか建てなくても個人で簡単に事業を始められるようになった。

 

 そう、このいつでもどこでも繋がれるインターネット空間が世界を大きく変えたんですよ。

 

 テクノロジーの進化が仕事の簡便化を実現したというわけです。

 

 だから、好きなことでも生きていけるようになったんです (AIに感謝)

 

 

 さて、これほど魅力的なものなのです。もちろん、私にも興味が湧きます。

 

 だって、好きなことで仕事ができるんですよ、生きられるんですよ。子供の頃から、仕事に対してあまり良いイメージがなかった私からするとこれは衝撃的です。

 

 さらに、「人生好きに生きても良いのか!」と思うようになっていきました。

 

 どうせ生きるなら、やっぱり楽しんで生きたいですもん(楽しんだもん勝ちよ)

 

 

 そう、ある時から私は自分の好きだと思うこと、やりたいことをして生きていきたいと思ったんです。

 

 

 昔の、自分より他人を優先しすぎてしまう性格からの反発もあったことでしょう。

 

 こうして、自分の内なる思いに貪欲になった私ですが、ある勘違いをしていました。

 

 

 それは、好きに生きるということは楽である

 

 

 こんな風に思ってしまったんですね(大きな勘違い)

 

 そうなると、私は嫌なことを極力避けるような人間になりました。

 

 宿題はめんどくさいしやめよう、だるいから今日は学校サボろう、バイトとか大変なものはやりたくない。大体こんな感じにです(高校時代ですかね〜)

 

 

 これらが良いか悪いかは置いといて、まず気持ちの面ですが、意外にも凄い良くなりました。

 

 

 基本的に楽しいことをして、嫌なものを避けているのでストレスは大幅に減りましたし、人生楽しいなと思うことも多くなりました(ヤッタネ)

 

 はい、当初は本気で「楽して生きることは最強じゃないかあ!」なんて思っていました。

 

 

 しかし、楽して生きるのはそんな甘いものではありませんでした。

 

 例えばですが、猛烈に欲しいものがあったのですがお金がない。

 

 そんな状況いくらでもあるのですが、楽して生きる崇拝者だった私は、

 

 

 「確かにめちゃくちゃ欲しい、でもそのために自分の貴重な時間を使って労働するのはバカらしいよな」

 

 

 こんな風に考えてしまいました。

 

 

 そう、実際にやったこともないのに勝手な憶測で決めつけて、嫌なことからなんとしても逃げるような人間になってしまっていたのです(仕事=苦痛的な感じ)

 

 

 ものごとをまず第一に、楽かどうかで考えるアンテナが研ぎ澄まされてしまった由縁なのでしょう。

 

 欲しいものはあるが、頭で考えてそれを手に入れるのが大変と判断したら諦めるので、何かしたいと思っても行動が伴わない人間にいつしかなっていました。

 

 

 今100幸せなのに、わざわざ30になってまで新しい幸せ100を手にしたいとは思わなかったんです(基本的にストレスフリーでしたからまあそうなるわな)

 

 

 

 しかし、次第にジレンマに陥っていきました。

 

 

 「これ欲しいな。でも、これを手に入れるためには苦痛を味わなければいけない」

 「でも本気で欲しい。なんとしても欲しい。でなきゃ嫌だ!」

 「でも、苦痛を味わうのも絶対に嫌だ!」

 

 

 そう、どちらを選択しても自分に不利益な状況になったんです(地獄の板挟み)

 

 

 現状のままでもかなりのストレス、行動してもめちゃストレス。当時の楽して生きるがモットーの私には最悪の相性でした。

 

 

 現状の幸せに満足できなくなって、更なる幸せを求めるようになった結果ですね。

 

 現状が100幸せだったのが50幸せくらいに下がり、普通にしてても不満。行動してみようと思うも30幸せくらいになってしまうだろうと思いこれも不満。相対的に現状の方がまだ幸せだと思うかもしれないんですが、元々100幸せだったのを考えるとかなり不満なんです。

 

 

 当時、私はこのジレンマによって発狂するほどのストレスを浴びました。現状に対する猛烈な気持ち悪さ、世界に対する憎悪すら湧いてきました。

 

 

 そして、どうにもならない状態になった時は自分の考え方が間違っているということを知っていた私はついに気づきます。

 

 

 自分なりの好きに生きる、自由に生きるには限界があると。

 

 

 嫌なことを避けて、自分の思い通りに生きることはできないと分かったんです。

 

 なんとかして楽して生きる崇拝者の名にかけて、自分に不利益が起きずに幸せを手に入れる方法を考えまくりました。

 

 

 「親に買ってもらうかな」

 「何か売ろうかな」

 「消費者金融から借りるかな」

 「もはや盗もう」

 

 

 しかし、楽したいセンサーは少しの不利益も見逃しません。

 

 

 「親に買ってもらうのは申し訳ないな」

 「でも、売るのはもったいないな」

 「お金を借りるのにちょっと抵抗あるな」

 「盗んだら犯罪だしな」

 

 

 

 そう、どんなに解決策を考えても不利益の呪縛に囚われて、どっちつかずの一番楽な現状の維持、行動しないという選択を何回も繰り返すハメにになりました(暗雲サイクル)

 

 

 楽したいセンサーというものは楽に敏感になるだけではないのです。相対的に自然に不利益にも敏感になっていたのです。

 

 

 そう、絶対に抜け出せないんですよ(いくらでも見つけてしまう)

 

 

 

 だから、私は不利益を探すこと自体不毛だと気づきました。

 

 色々考えることは問題を解決する上で凄い良いことだと思います。

 

 

 しかし、考えても考えても行動しなきゃ何も始まらないんですよ。

 

 

 考えるのと行動はセットなんです。

 

 私は行動をしないで考えるのみで何かが叶うかどうかの限界に挑戦していたということです(これはこれですごいなw)

 

 まあ、考えるだけで何かが叶ったら誰も苦労しませんよね(うん、うん)

 

 

 そして、現状を変えるには自分を変えるしかないんです。

 

 

 どれだけ「現状が変わって欲しい!」と頭の中で願っても、現実はそうはならないんです。

 

 

 自分で行動、アクションを起こさなきゃホントにマジで目の前の世界は変わりません!

 

 

 私はこれを身に染みて感じました。

 

 

 さて、なぜ私はこんなにも行動に踏み出せなかったのでしょうか?

 

 

 それは、自分の幸せが脅かされることが怖かったからです。

 

 

 自分の内なる思いに貪欲になることは素晴らしいんですよ。好きなことを好きだと素直に自分に言い聞かせる。嫌なことは嫌だと素直に自分を認めてあげる。こんな幸せなことがあるでしょうか。

 

 

 「素直に生きても良いんだな」

 

 

 そう思わしてくれた『自分の好きなこと、やりたいことをして生きていく考え』にはとても感謝していたんです。

 

 

 だからこそ、簡単には捨てきれませんでした。

 

 

 この生き方をやめてしまうのはなんか違う。そんな思いがずっとあったんです。

 

 そして、行動することを拒むことに限界を感じた時、私の新たなる世界が始まりました。

 

 

 「行動してみよう、挑戦してみよう!」

 

 

 私は自分の殻をついに破ったのです。

 

 楽しいか、面白いかなんて保証はどこにもありません。

 

 挑戦とはそういうことなんです。

 

 

 憶測とか行動もしないで勝手に自分で決めつける自分に嫌気がさしたのです。

 

 

 どうなるか分からないからおもしろいという次のステージに到達したんです。

 

 

 考えてるだけでは何も始まらないし、どんどん行動しまくって成功も失敗もなんでも楽しんでしまえば良いじゃないかと思うようになったんです。

 

 

 これは私の中でビックバン級の大転換でした。

 

 

 ですから、この壮大な勘違いから始まった出来事も決して無駄ではなかったんだなと思っています。

 

 

 この経験を通して、生きるとは何かを考えさせられましたし、何よりこの記事を書くことができているのが嬉しいです。

 

 

 ということで、これからも失敗なんて気にせずに自分の心の底からやりたいこと、好きなことを続けていきたいと思います。

 

 

 今回かなり長くなった気がしますが、以上です。ありがとうございましたー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログ運営は超時空超越遠距離戦である!

 

 どうも、永遠の厨二病雑記ガトリングです(未だ卒業未定)

 

 今回の記事なんですが、「ブログって要はこういうことだよな!」という突発的に考えたことをただただ殴り書きしていきたいと思っています。

 

 「ブログとは何か?」って三つ目の記事で書くようなことではない気がめちゃくちゃするのですが(ある程度投稿して発見するもののような気がw)

 

 やっぱり書きたいこと書きたいので自分でもよく分からないですがとにかくやります!(推測、仮説、考察大好き人間には無理な話)

 

 ということで、やっていきましょう!

 

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 単刀直入に言いますが、ブログ運営とは超時空超越遠距離戦だと言えます。

 

 

 「ド初心者が何言ってんだ!」

 

 

 なんて思われるかもしれませんが、実は一年ほど前にもブログをやっていました。

 

 まあ、たった5日で終わるというブログ挫折あるあるの代表格みたいな人でしたけど。

 

 ですが、改めてブログを始めていくに当たってブログ運営とはどういったものなのかを再確認してみたかったんですよ。

 

 そう考えると、ブログ初期段階にいる私にとってもかなり大事な事になってくるんではないでしょうか(よし、3記事目でも全然アリになったぜ)

 

 ということで、自分への確認も兼ねて基本に立ち返って考えていきたいと思います。

 

 

 さて、みなさんブログを開始してみてどんなことを考えるでしょうか?

 

 

 「書くの楽しいな!」

 「一つの記事にこんなかかったのか!」

 「頭使って腹減ったな〜」

 

 

 色々あると思うんですが、やっぱ気になりませんか? 誰が見てくれているのか

 

 現在もなうですが、大抵ブログを始めて間もない頃なんかは見てくれる人なんてほぼいないと言っても過言じゃありません。

 

 

 大事なことなので、もう一度言いますが見てくれる人はほぼいません!

 

 

 そうなんですよ、これがブログの第一の壁と言ってもいいです。

 

 私の一年前の挫折もこれが原因です(瞬殺ノックアウト乙)

 

 まあこれがブログ運営の風物詩と言えばそうなんですが、新規参入者に対して異常に冷たいんですよ!

 

 当たり前なんですが、コンテンツ量も少なく、つい最近始めたひよっこである新規参入者なんかよりも、多くのコンテンツ量を抱え、記事のクオリティもよく、何より長く続けているという絶大な信頼感がある古残プレイヤーの方が優遇されるに決まっているんですよ。

 

 

 はい、みなさん気がつきましたか?

 

 

 「新規参入者はもう勝ち目がないじゃないか!」

 

 

 なんて思ったら負けです。一生ブログ運営なんてできません(自分にも言い聞かせてます)

 

 新規参入者と古残プレイヤーの違いに注目してもらえれば分かると思うのですが、コンテンツ、要は記事の量がたくさんあって、内容がある程度あって、ずーとブログやっていれば古残プレイヤーの仲間入りなんですよ。

 

 古残プレイヤーになったのなら、見てくれる人も当然多くなるわけです。

 

 そうなれば、ひとまず第一の壁、誰も見てくれない日々は突破できるんです

 

 

 さて、改めて第一の壁を突破する方法について考えていきましょう!

 

 まず、記事の量を増やすということなんですが、これはホントその通り記事を書きまくるしかないんですよね。1日1記事でも十分大丈夫らしいんですが、私はいかんせんマイペースな性格なので書ける時があればどんどん書いていきたいんですよ。

 

 別に、1日1記事が絶対的なものであるというわけでもないので、自分にあったペースを自分で考えてやればいいと思います

 

 

 さて、次は記事の質、クオリティですね(こっちも大事だろうなあ)

 

 これに関して言うと、そもそもブログ初心者にとって質の良い記事をいきなり作るのなんて無理があると思いますね(経験値が圧倒的に少ないもの)

 

 私もやはりクオリティの良い記事を書きたいと思っているのですが、全然の初心者ですし、ブログに関して言えばマジで勉強不足です。

 

 ですが、いきなりガチガチにブログを作っても大変だし、面白くないと感じたら、一発で離脱してしまい、本末転倒だと思ったんです。

 

 私がなんでブログ始めたかって言ったら、文章書くのが楽しいからですよ。

 

 自分の書いたブログで、情報を共有したいから始めたんですよ。

 

 ですので、最初はそういった一番の肝を大事にして、自分の書きたいことを書いていけば良いと思います。

 

 私は一応一つの記事1000字以上は書こうと思っていますが、日常で思った何気ない日記から始めてみるのも全然悪くないと思います。気づいたらもっと書きたいと思うようになって、どんどん文章量も上がっていくでしょう。

 

 もちろん、自分が書きたいだけ書けば良いんですが(要は自分のペースだね)

 

 クオリティなんてものは後から考えれば良い、とにかくブログは楽しいものということだけ忘れないでほしいですね(クオリティはそれからだね)

 

 

 さて、残るは継続ですね(これが最強に大事なんでは!?)

 

 これも、ブログ運営において散々、耳にタコができるほど言われる言葉の一つですよね。

 

 

 よく言われるのが、3ヶ月は継続するべし!

 

 

 なんでも、3ヶ月あたりから徐々に見てくれる人が増えるていくらしいです(よくそんな感じのグラフ見ますものねえ)

 

 正直、これが一番精神的にくるでしょうね。

 

 まず、全然見てくれる人がいない中での3ヶ月のブログ継続(改めて、凄いですよねこれ)

 

 これによって大量の挫折者が量産されるのでしょう(怖すぎる世界)

 

 しかも、ただブログを3ヶ月継続するのではなく、記事も書いていきますからね。

 

 そう、すぐには結果が出ないこのタイムラグこそがブログ運営の肝と言って良いでしょう。

 

 自分の書いたブログがいつヒットするかなんて分からないんですし、大抵かなり後になってから見られたりすることが多い(古残化するためか)

 

 それがブログというものなんでしょう!

 

 だから、ブログを続けていく上で知っていて欲しいんです。

 

 

 ブログ運営は超時空超越遠距離戦であると。

 

 

 多くの人間が挫折するのは、ブログ運営をするに当たってこの特殊な感覚を持ち合わせていなかったからではないでしょうか。

 

 まさに、時空を超越して未来に記事を書いているイメージです。

 

 だから、ブログの更新頻度を下げても過去の記事が読まれるから収益が下がらずに安定するなんてことが起きるのでしょうね。

 

 

 いやー凄いことに気がついてしまった(まあ知ってた人もいるでしょうけどw)

 

 

 もはや、こうなってくると最初の3ヶ月、いや1年くらいはとにかく書きたいこと書きまくった方が良い気がしてきました(アクセス解析なんてクソくらえですねw)

 

 というわけで、なにより継続しなきゃブログは育たないので、これからは自分の書きたいことをガンガンにやって自分自身の離脱防止をしていきたいと思いました。

 

 今回の記事は以上です、ありがとうございましたー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

「四六時中ブログのことを考えていたい!」という狂愛エネルギー

 


 

 どうも、楽しいこと大好き雑記ガトリングです(圧倒的楽しさ重視人間)

 

 さて、2つ目の記事になるんですが、現状頭がかなりおかしくなっています(元からじゃ(ry

 

 そう、ブログを書けるという喜びが最大限に弾けまして、ずーっとブログのこと考えていたいという状況です。

 

 一つ目の記事から一応寝たのですが、脳が活性化されすぎてろくに寝た気がしませんでした。

 

 今も若干眠いのですが、頭だけは異常に冴えていますし、万年寝坊の私が朝に一発で目覚まし通りに起きることができたのです。

 

 なんですかね、前回の記事でも言いましたが、今まで散々ため込んできたアウトプット衝動が爆発しているんですかねw

 

 ブログに対する愛が狂気的になっている気がします(でもなんか嬉しい)

 

 そう、ブログを書いていく上ではかなりチャンスなんですよね。

 

 このブログへの異常なエネルギーを燃料にして、どんどん記事を量産していくことができるはずですから。

 

 記事のアイデアもかなり生まれますし、単純に頭の回転が速くなっているので意外と良質な記事も書きやすくなっているのではないでしょうか。

 

 まあアイデアはたくさん生まれてくるんですが、内容のある記事になるかどうかはわかりませんけどね(書きまくって上達していくしかないなー)

 

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 さて、みなさん改めてこのエネルギーすごいと思いませんか?

 

 私はこのエネルギーにとんでもない価値があるようで気が気でないのです。

 

 何かやろう!と思って継続していく必要がある場合に強い味方になってくれると思うんです。

 

 事実として、私は普段朝がめちゃくちゃ弱くて寝坊なんてよくありますし、休日は昼ごろまで寝ているような人間なのに一発で時間通りに起きることができました。

 

 これは私からしたらあり得ない領域に近いのです。

 

 普段だったら起こり得ないことが起きる。しかもとってもいいい意味で。

 

 

 このエネルギーすごく魅力的じゃないですか?

 

 

 ということで、なぜこんなエネルギーが生まれるのか考えてみました。

 

 感覚としては、遠足の前日の「明日楽しみすぎて寝れない!」という感情にかなり近いものを感じますね(あの遠足前日特有の異常なワクワク感は未だに謎)

 

 

 「眠い! でもブログ書きたい! ああでも寝たい!」

 

 

 昨晩はこれの繰り返しでして、とんでもない思考量が脳内に降り注ぎながら夢のようなものも見て、もはや錯乱状態でした。

 

 

 でも、すっごい楽しかったんです!

 

 

 ブログを書いている時だけじゃなく、ブログのこと考えてる時も凄い楽しかったのです。

 

 そういう意味では、遠足の前日の事例も遠足自体はまだ始まっていないにも関わらず、遠足を想像するだけで楽しんでいるという点において似ています。

 

 ですので、一番単純に考えると自分にとって心の底から楽しいと思えることをやっている時に発動する可能性が高いということです。

 

 想像するだけで楽しんでしまうレベルなので、ただなんとなく楽しい程度では発動することは難しい気がします。

 

 私の場合ですと、ゲームが好きでよくやりますがゲームをやるために早起きしようと思ったことはほぼありません(ドラクエ11の発売日は朝5時に起きたけどね) 

 

 私にとってはゲームは魅力的ですが、なんとなく好き、暇だからやっていたものだったのかもしれません。

 

 

 そして、遠足前日ワクワク理論四六時中ブログ狂愛理論にある共通点が見つかりました。

 

 それは、何かを人と共有できるということです。

 

 遠足はみんなと楽しいという感情を共有するし、ブログも発信することで色んな人が見てくれて、情報を共有できる。

 

 自分だけのためだったら生まれないエネルギー、そんな気がします。

 

 昔は人と共有したいなんて感覚なかったのですが、最近は人と共有した方が良いなと思うようになったらしいです(なんかその方が素敵ですよね)

 

 

 ところで、もう一つのこのエネルギーの大きな発動理由があるんですが...

 

 なんか綺麗にまとまったのでまた別の機会に書きたいと思います。

 

 『心の底から楽しいと思えることをやっている時』

 

 『何かを人と共有できることをしている時』

 

 上記2つとはまた別の方向性なんですよね(話が長くなりますw)

 

 ただ、かなり深い部分で面白いのでまあ良かったらまた見てください。

 

 ということで、四六時中考えてしまうエネルギー、言うなれば狂愛エネルギーについての考察でしたー! ありがとうございましたー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はじめまして、雑記ガトリングです! 

 


 

 タイトルでも言っていますが、どうもはじめまして雑記ガトリングと言います。

 

 

 「雑記ガトリングってなんだよ!」 

 「よくわからないですなあ」 

 「誰だ〜い?」

  

 

 なんて思うかもしれないので、なぜ開設しようと思ったのか、ブログのコンセプトは何か、これからどんな記事を書いていくのかを説明していきたいと思います。

 

 まず、このブログを開設した理由から話していきたいと思います。

 

 まあ色々理由はあるんですが、一番の理由は魂の限り生きていきたいと思ったからです。

 

 はい、あんま伝わりにくいし、何よりカッコつけてしまいましたすいません(厨二乙)

でも、大体の意味は理解してくれたんではないでしょうか。要はどうせ生きるならめちゃくちゃ自分のやりたいことをやって生き抜きたいということですね。

 

 他にもたくさんの理由がありますよ。暇だったから、お金を稼ぎたい、文章を書きたい、自分の普段思っていることを書きたい、成功したい、人のために何かしたい。

 

 ですが、これらを上回るほどの思いが魂の限り生きていきたいという言葉でした。

 

 なんでしょうね、ゲーム、youtube視聴、アニメや映画観賞、色々やることはあるし、魅力的なものばかりです。でも、そういったことの繰り返しに退屈というか、不思議な焦燥感を感じたのですね。

 

 

「俺も何か発信したい!」

 

 

 そんな思いが、少し狂気を含むほどの熱い感情と伴に湧き上がってきたのです。今すぐにやらなきゃ気持ち悪くなるほどのレベルです。理性的な感覚はなかったと思います。

 

 

 そう、気付いたらブログはじめてました

 

 

 潜在的にずっと保持していた魂の限り生きていきたいという思いがそれに反して踏み出せていない現状が強力な圧迫となり、限界まで引っ張られたゴムが飛び出すかのように反射的に発信を始めた。そんな気がします(インプットしすぎた末路なんでしょうか)

 

 ですから、ブログ開設した理由をなんかカッコつけて言っていましたが究極的には気づいたら始めてましたってことになるんですよね(なんかかっこいいなおい)

 

 

 では次に、このブログのコンセプトについて話していきたいと思います。

 

 もうブログの名前からしてわかると思うんですが、まあ俗にいう雑記ブログですね。

 

 雑記ブログというのは文字通り、色々なことを取り上げる大変自由なブログのことを言いますね。反対に専門ブログというのが、何か一つのジャンルに絞って書いていくブログのことです。

 

 雑記ブログにした理由ですが、やはりブログを一から始めるには雑記ブログの方がいいと思ったからです。

 

 初心者ってことであまりブログというのもよくわかっていませんし、何か専門的なことを書く場合、そのジャンルで突き通すほどの知識量があるとは思えなかったからです。

 

 さらに、専門ブログにしたらネタ切れになってしまうことも十分に考えられます(慣れてないですからねえ)

 

 ブログは継続という言葉はよく聞きますし、そもそも継続できなかったら元も子もないです。だから、あらゆることを書ける。そして、比較的自由に書ける雑記ブログを選択しました。

 

 ガトリングの方にも一応触れておきます(うん、触れるよもちろん)

 

 やはり、男の子ですからねえ。銃とか鉄砲系大好きなんですよ(機関銃ホントすこ)

 

 なんて理由もあるんですが、一番の理由は「たくさん記事を書きたい!」という思いがあったからですね。

 

 ブログを書いて投稿するのは簡単です。キーボード打ちまくって投稿ボタンを押せばいいですから(もちろん書くのに時間はかかりますけどね)

 

 ですが、ブログを見てくれるかどうか。これは自分ではどうしようもできないことです。

 

 そうなると、より知ってもらうため、見てくれるようにするにはコンテンツの量を増やしていくのが吉なんではないでしょうか。

 

 たくさんの記事があれば、その分だけブログを見てくれる人が増えますし、私のある記事が良いと思ってくれた人がいれば、それに関係した記事がもっとあればより見てくれるようになります。

 

 ということで雑記+ガトリングであらゆることをたくさん書くブログだと覚えてくれたら嬉しいです(すげー漠然としたブログだなー)

 

 そして、これからどんな記事を書いていくかなんですけど、もう答え出てましたねw

 

 まあ雑記ブログらしく色々書いていきたいとは思うんですけど、人生においてぶち当たる問題について考えるということは定期的に書いていくかもしれません。

 

 このブログを始める前からなんですけど、なんでこんなことが起きるのか、どうやったら解決できるのかを問題が発生するたびによく考えていました。

 

 ですので、そういった記事も一個人の考えですけど何かしら役に立ってくれたらいいなって思っています。

 

 

 最後にですが、ブログをやっていく上で至らない点もあるかもしれませんが、文章を書いたりするのは好きみたいですし、情熱は人一倍自信があります。この先興味を持った記事があればぜひ読んでくれると嬉しいです。